僕という人間について話します

僕という人間は基本的には根暗です。

集団で居るときはかなり無理をして明るく振る舞ってます。

「うぇーいwwwww」みたいな。

 

でも家に帰ると

「あぁ、何のために生きてんだかわかんねーな。もう25なのにこんな生活でもういいよ…」

とか考えてます。

これは多分うつ病のせいだと思います。

きっといつか寛解して元気になると思いますし前向きになれると思います。

 

僕と関わりのある人の中には急に僕が暗くなったりして「怖いなぁ」とか思ったりする人もいるかもしれませんが、怖がらないでください、僕の本質は何も変わっていません。

僕はみなさんと仲良く遊んだり仕事をしたり、飲んだり、笑ったりしたいんです。

みなさんにも波があると思います。

僕はみなさんと比べて波が大きいということだけで、ほかは何も問題ないんです。

どうかそのことを理解してください。

 

 

昔、僕はとあるコンテストで賞を取りました。

詳しくはこのPDFファイルを。

http://www.oisa.jp/OISA56.pdf

本名がバリバリ載ってますが、若干19歳で賞を取ったことがあります。

 

大学当時、とある同級生にこの話をしたら、

「平山が取れんならうちらのコースの連中なら誰でも取れんじゃねwww」

と一蹴されました。

彼の予言通り、僕の大学の同級生たちが賞を次々と取り、それらは大学のHPに掲載されることになりました。

僕の賞のことは載ることはありませんでした、もちろん、所属コース統括にも報告しましたが、何も無かったです。

 

そんなことを言った彼は今や有名なバンドに在籍しておりフジロックカウントダウンジャパンに出演するまでになりました。

 

先日、僕は関節の痛みと脱力、高熱で救急外来へ行きました。

初めてトリアージも受けましたが。

大事には至らず、一人で這いつくばりながら家に帰りました。

占めて1万円、ぶっ飛びました。

それから2日後、母親が来ました。

戸籍謄本の取り寄せるついでと言ってましたが、うちに来なくていいと言ったのですが。何故か来ました。

そのときに、僕は彼の話をしました。

母親にバンド名を言うと「それ番組で見たよ」と。

「相方と一緒にみてたけど『全然意味わかんないし、どうせすぐ消えるよ』って言ってた」と。

僕への慰めもあったのかもしれません。

生活や仕事、自立への支援は厳しいものの、唯一音楽に関しては僕のことを認めてくれるのが母でした。

「まだ25でしょ?!まだやれるわよ!」

と。

 

しかしながら、人間というのはなれるものにしかなれないのではないでしょうか。

代々木ゼミナール、数学講師の荻野暢也先生はこうおっしゃっていました。

 

「(日本は)夢を追いかけて実現するということが素晴らしいと言い過ぎたんです。それによって何人の若者の未来が潰されたのか。誰かが言わなきゃいけない。なれるものにしかなれないんですよ。その中から一つ選べばいい。それが昔思い描いてた夢と違ってたって不幸でも何でもないんです」

 

その言葉が僕には重くのしかかりました。

じゃあ僕は何者になれるんだろうかと思うんです、病気を治療しながら。

一体僕は何者になれというんでしょうか。

自分で決めるしか無いわけですが、人生は選択とはよくいったものでして。

 

とりとめもなく書いてしまいました。

僕の話はこれで終わりです。

もしも、僕と会う機会があれば、感情の波とか、そういうものに気を遣わずに接してください。

僕になにか話しかけてください、嬉しいです。

その分、何かお返し出来ればと思っています。

 

では。