「心が満たされたら音楽なんて作れなくなっちまう」

「心が満たされたらモノなんて作れなくなっちまう」

 

この言葉は大学時代に先輩が言った一言だ。

音楽大学という単科大とはいえ、人種は幅広かった。

僕はどちらかというと根暗な部類に入っていて、いわゆるリア充という立場じゃなかった。

ある日、授業の空き時間に空きスペースの教室で同級生と先輩たちとで雑談していて、

「曲作れなくなる時ってどんなときなんすかね」

と何の気なしに言ってみると

「今の自分に満足してるときじゃね?心が満たされたら音楽なんて作れなくなっちまう」

と返ってきた。

 

今までの音楽作りの中で、僕はよく「叫び」とか「悲しみ」とか「いらだち」とかを掲げていた。

言葉にも言い表せない断末魔に近いような心を描写するのが自分の音楽だった。

そんな中でも、幸せな中で何か作ればいいじゃないかと言われそうだけど、そうはいかないもので。

幸せになったらなったでそれで満足してしまうから、音楽でしか出せない「叫び」とか「いらだち」とかが表現できなくなってしまう、というか、僕にとっての音楽の本質は、言葉で言い表せられない気持ちを表現するものだったりする。

 

世の中ってのは苛立つニュースも最近増えてきて。

神社にベビーカー立入禁止の話で炎上してるのをみて「正月馬鹿だな」とか思ったり、日本の隣の国がわーわー言ってすったもんだやってる話とか、自分ではどうすることも出来ないことに対して苛立って。

 

僕は休みの日というのが一番嫌いだ。

仕事の日は、その自分の職務を全うすれば評価されるし、何よりお金になる。

仕事内容もそんなに難しいことじゃないしストレスもそんなにかからない。

幸運なことに職場はいい環境で人もいい人たちばかりで。

仕事の中では「頑張っている人」で居られて、それて悦に浸れる。

仕事の時だけが、僕の中で安息の時なのかもしれない。

 

逆に何も無い満たされてない自分が「悲しいなぁ」と悦に浸ることもある。

感傷に浸って悦に浸る。

そんな中でふと思うと楽器を手に持ち、PCの画面に向かって曲を書いている自分がいる。

それで気が付かないうちに曲が出来上がる。

こんな説明で納得出来る人はあんまり居ないと思うけど、これがホントの話。

 

心に穴が空いて、足りないからそこに何か足すために曲を書いたりしているんだと思う。

それが仕事以外で心のスキマを埋めるための方法なのかもしれない。

どうしようもない部分を固めたのが僕だったりする。

それを形にしたのが僕の曲。

仕事として作曲をしていない自分はこんな感じで作ってます。

どこかで「救ってくれ」って思っていて、それが誰かに届くために曲を書いているんだと思う次第です。